AJIBUTSU Professional Professional02

自ら望んで掴んだ「配車マン」をきっかけに
次々と舞い込む重責を全う。
現場の魂を次世代へつなぐ低温分野のプロフェッショナル。

外食事業部 舞洲CL営業所 所長(2015年4月現在)
1989年入社
寺野 勇

AJIBUTSU Professional Professional02

自ら望んで掴んだ「配車マン」をきっかけに
次々と舞い込む重責を全う。
現場の魂を次世代へつなぐ低温分野のプロフェッショナル。

外食事業部 舞洲CL営業所 所長(2015年4月現在)
1989年入社
寺野 勇

Career

1989~2003年:舞洲CL営業所(倉庫職・乗務職・配車業務・荷主業務)
2003~2005年:石狩CL営業所 所長
2005~2006年:旧北海道主管部
2006~2010年:舞洲CL営業所 所長
2010~2012年:旧西日本主管部 兼 旧低温事業部
2012~2014年:旧第二事業部 流通営業部 外食グループ長
2014年04月~2014年10月:大阪港低温営業所 所長
2014年10月~現在:舞洲CL営業所 所長

Introduction

寺野を語るとき、やはり第一に取り上げるべきは、倉庫職からスタートし、乗務職(ドライバー)を経て、現在の要職に就いたことだろう。これは約500名の社員が在籍する味の素物流のなかでも稀有な例である。

仲間と配送の効率を競い合う。そこには若き日のハツラツとした姿があった。

実は、寺野は、1989年に入社する前、舞洲(まいしま)CL営業所の前身の営業所の倉庫で2年間アルバイトをしていた。やがてこの舞洲がその後の人生に大きく関わり、物流人としてステップアップするための舞台になろうとは、そのときの寺野には想像すらできなかっただろう。

社員として正式に入社したあとは、倉庫職を経て、乗務職つまりトラックのドライバーとなった。特に運転が好きだったわけでもないという。

「配車マンの先輩がとにかくカッコよく見えて。配車マンになるには、乗務職の経験がものを言う。それで当時の所長にトラックに乗せてほしいと頼み込んだわけです」

乗務職となった寺野は主に外食関連の小口配送を担当した。大手外食チェーンの店舗に食材を届ける仕事である。当時はドライバーが自らの裁量で配送ルートや順番を自由に決めることができた。そのため仲間たちと、いかに早く効率よく配り終えるかを競い合っていたという。

あこがれの配車マン。しかしその日々は、“正直めちゃくちゃしんどかった”

乗務職を3年務めた後、晴れてあこがれの配車業務に。寺野は、毎日、近畿2府4県に向けてのトラック50台~70台/日をコントロールした。電車の運行ダイヤにも似た緻密な配送計画を立て、その一方で、北陸3県・中四国9県に向けての長距離大型トラックによる直送便を手配した。何十台ものトラックを滞りなく先方に到着させ営業所に帰着させる、まるでパズルを解くような、面白くはあるが気苦労の絶えない仕事である。寺野が待ち望んだ仕事ではあったが、時々刻々、目の回るような忙しさであったことは想像に難くない。

「まわりは大先輩ばかりですし、ドライバーたちの気持ちもよくわかる。任せられたというプレッシャーもあって、毎日必死に頑張っていましたね」

乗務職に加えて配車業務の7年間の経験を糧として荷主担当業務になったのが32歳のとき。注文をデータ化して配車業務へ渡し、万一、トラブルや緊急事態が生じたら速やかに対処するこの仕事は、顧客への真摯で細やかな対応という物流人に不可欠なスキルを磨く機会ともなった。

「配車・配送のことはよく分かっていたので、お客さまに喜んでいただける仕事ができました」と寺野は嬉しげに当時を振り返る。

所長として舞洲に戻った寺野を待っていたのは、70万ケースの大移動。

やがて寺野は35歳で北海道の石狩CL営業所に所長として赴任。

「私は決して上をめざしていたわけではないのですが、辞令を受けたとき、配車マンだった頃の上司の“もっと上をめざせ”という叱咤の声を思い出しましたね」と寺野。その時々に目をかけ引き上げ抜擢してくれた上司には、ただただ感謝の言葉しかないと付け加えた。

石狩CL営業所は部下13名と小規模ではあったが、ここでコスト管理や営業損益の算出など管理職として必要なノウハウを学んだあと、38歳で懐かしの舞洲CL営業所に所長として凱旋した。

「そのときは昔の仲間に“寺野さん、やっぱり帰ってきたの。イヤやなぁ”と言われたんですよ。そんなに厳しかったかなぁ」と寺野は苦笑するが、もちろん、“イヤやなぁ”の軽口は、かつて苦楽を共にした、気心知れた仲間たちからの“お帰りなさい”に代わる歓迎の言葉である。

だが寺野を待っていたのは、歓迎の言葉ばかりではなく、70万ケースにも及ぶ商品の入れ替えであった。それは、舞洲に保管されていた40万ケースの商品をそっくり新設の倉庫に移し、その後、各地に点在する倉庫群から合計30万ケースの商品を舞洲に運び入れるという大仕事であった。大型の10tトラックでも一台当たり運べるのは1000~1200ケース。単純計算すると延べ600~700台もの10tトラックが動いたことになる。しかも、2ヶ月と期限を決められたなかで、通常の業務を滞ることなく遂行しながら、ほとんどの商品が冷凍食品であるためその温度管理にも気を配りながらの70万ケースの大移動。寺野はその大移動を“物流人としての最大の試練だった”と述懐する。

「そのとき共に苦労した仲間たちとは今でもよく飲みますね。その仲間たちとは“お前の頼みごとならいつでも聞いてやる”といった信頼関係で結ばれています」

寺野は“仲間”という言葉をよく口にする。そのたびに仲間に対する想いの強さが伝わってくる。

物流のプロになる秘訣は、日々、現場力を磨くこと。

舞洲CL営業所所長として大役を果たした寺野は、西日本主管部を経て、44歳で東京本社営業部のグループ長に就任。外食産業の窓口の責任者として多忙な日々を送った。外食産業各社にはそれぞれ異なる要望があり、それに応えるために、たとえば冷凍食品は冷凍のままで、チルドはチルドのままで届くよう管理するのも営業の仕事。営業マンであっても現場の意識が必要なのだと寺野は解説する。

やがて46歳で、古巣の舞洲に、さらに大きな責任を担って再び帰ってきた。いまからつい数か月前のことである。

「かつて所長をやっていたときに、黒字化プロジェクトでコストカットなど、利益を出す算段はやりつくした感がありますので、営業所所長として、これから何をやろうか思案しているところです」と寺野は責任者としての大きな視野で未来を見つめ抱負を語る。

寺野の考える物流のプロとは…

「私は現場で育てられた人間なので、やはり現場での経験がものを言うと信じています。繁忙期の対応ができプランが組めることはもちろん、お客さまが困っているときに速やかに対応し現場力を発揮すること。お客さまの求めるものが高度であるほど現場も人も成長する。苦しいことを乗り越えれば、いろいろな気づきも生まれてきます。」

「日参しては冗談まじりの話をしながら親しくなって…」と営業の責任者だった頃を思い出し笑いする寺野。仲間に対する想いが強いことは先述した通りである。それらを総合すると、寺野には、人のなかに溶け込み、人の輪をつくり、その輪を大きく広げる人間味に溢れる魅力が備わっていることがわかる。

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